内側にねむる光に気づくとき、世界は変化する。
子どもの頃からプラネタリウムが好きだった。
理由はわからない。
けれど、病気がちな私にとって、暗い世界に浮かぶ星の世界は、何も考えないという安息をくれた気がする。
父が買ってくれた自宅用のプラネタリウムを部屋の中心に置き、大好きなくまのぬいぐるみの膝枕で、下がらない熱を抱えながら寝室の天井を見つめていたのを、今もはっきりと思い出せる。
暗さという不確定さの中で光るもの。
明るくなれば、一瞬で視認できなくなるいっときの宝物。
それはまるで、「直感」の現認のようなものだ。
見ようとしなければ見えない、聴こうとしなければ聴こえない。
信じようと思わなければあっという間に見失う、それが星の光であり、内側の声である。
ホロスコープは、そんな内側の声を拾うのに最適なツールだと、私は考える。
そして、トランスサタニアンが長い時をめぐり、大転換をもたらす今、これほど役に立つものはないだろう。
不確定性の中に息づく可能性を選び取り、力とする時代が到来しているのだから。
私が長年言い続けている象徴的な言葉の中に、「風は解体」というものがある。
まさに今、それを目にしている人も多いはずだ。
あれだけ強固で崩しがたかったようなものが――会社や組織のみならず、個々人の思考や信念でさえも、ほろほろと崩れている。
ほろほろと崩れ、ひとつひとつとなって漂う姿は、まるで妖精の粉のように、まばゆい可能性をはらんでいる。
過去、土という枠の中に居さえすれば感じられた確実性は、別の価値へと転換する。
その世界を、すでに私たちは生き始めているのだ。
外側に答えはもうない。
なぜなら、外側は狭いからだ。
自らの内側を探求すれば、信じられないほど無数の僅かな光に満ちていることに気がつくだろう。
そして、その発見に連動し、外側世界が容易に変化することにも。
その僅かな光の手掛かりは、ホロスコープに示されている。
世界にひとつ、内側世界のプラネタリウムだ。
木野晴月